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歌舞伎十八番

カード 18枚 作成者: Tetsumon (作成日: 2014/01/05)

  • 『外郎売』(ういろううり)

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教材の説明:

市川海老蔵が最近演じている歌舞伎十八番。
天保三年 (1832) はじめ、七代目團十郎は長男の六代目海老蔵に八代目團十郎を襲名させ、自らは五代目海老蔵に復すことにした。これを受けて同年三月に「八代目市川團十郎襲名披露興行」が行われ、そこで当時すでに成田屋の代表的なお家芸として知られていた『助六』が上演されることになったが、このとき贔屓の客には特に一枚の摺物が配られた。その案内書には、この興行で上演される『助六』に並んで、かつて初代・二代目・四代目の團十郎が得意とした荒事の演目が17番列記されており、これを題して「歌舞妓狂言組十八番」といった。これが「十八番」の初出である。

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  • 1

    『外郎売』(ういろううり)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • いわゆる「曾我物」のひとつ『若緑勢曾我』(わかみどり いきおい そが)の一幕を一部独立させたものである。享保3年 (1718) 正月、江戸 森田座で初演。「外郎売実ハ曾我五郎」は二代目市川團十郎が勤めた。

    解説

  • 2

    『嫐』(うわなり)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 元禄12年 (1699年)7月の江戸中村座において、初代市川團十郎の甲賀三郎他で初演。この時の外題は『一心五界玉』(いっしんごかいのたま)で、「甲賀三郎/鬼神退治」の角書きが付いた。 台本が伝わらないので詳細は不明であるが、初代と二代目團十郎の上演した芝居について記録した『金之揮』(きんのざい)によれば、初代團十郎演じる甲賀三郎が岩穴に落ちるとその中に屋敷があり、三郎の妾であるみな月がいた。三郎がそのみな月と蚊帳の中での濡れ事を演じているところに、二代目團十郎(この時市川九蔵)演じる三郎の娘くれ竹が現れる。くれ竹には死んだ本妻の怨霊がとり付いており、三郎や妾に対して嫉妬の所作を見せる、という内容だったという。 「うわなり」とは後妻のことで、すなわちここで取り上げているのは後妻打ちのことであるが、本来の後妻打ちが離縁された元の妻が後妻に対して行う争いであるのに対して、『金之揮』に収められている内容では本妻が(といっても死霊が娘にとりついたものであるが)妾に対して嫉妬の念を燃やす。離縁云々ということが無くても、男一人に女が二人で男を取り合い、古くからいた女のほうが嫉妬の所作をみせるという内容になっていれば、それを「後妻打ち」としたようである。いずれにしてもこれは女形の芸であり、本来立役で荒事を得意とするはずの市川家のお家芸になぜ入れられたのかわからないという意見もある。

    解説

  • 3

    『押戻』(おしもどし)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 享保12年(1727年)、江戸中村座の『国性爺竹抜五郎』(こくせんや・たけぬき-ごろう)において二代目市川團十郎が勤めた曾我五郎が初出か。 主人公が紅筋隈、鋲打ちの胴着、菱皮鬘、三本太刀の格好に、竹の子笠・蓑を身につけ、大青竹をかかえて登場し、悪霊・怨霊などが花道に来ようとするのを本舞台に押しもどす、といった内容。

    解説

  • 4

    『景清』(かげきよ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • この芝居は『牢破りの景清』とも呼ばれる。景清が牢を破るという荒事芸を見せるものであるが、『勧進帳』や『矢の根』のように終始音曲が入る。また阿古屋と人丸がそれぞれ箏と胡弓を演奏するのは、享保17年(1732年)の9月に大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃の『壇浦兜軍記』の影響があるのではないかといわれる。 初演は享保17年中村座、二代目市川團十郎の景清とされるが、この時上演された内容が牢破りであったかどうかは不明であり、牢破りをする景清で間違いないのは元文4年(1739年)7月の市村座、『初髻通曽我』(はつもとゆいかよいそが)の四番目に『菊重栄景清』(きくがさねさかえかげきよ)の外題で上演されたものだという。この時の景清は市川海老蔵(二代目團十郎)で外記節を使った。牢を破るという趣向の景清は團十郎以外の役者も演じていたが、二代目團十郎が演じて以来『牢破りの景清』は市川家のお家芸となった。

    解説

  • 5

    『鎌髭』(かまひげ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 鍛冶屋四郎兵衛(実は三保谷四郎)が修行者快哲(実は景清)の首を鎌で切ろうとするが景清は不死身で切れないと言う不思議な内容。

    解説

  • 6

    『関羽』(かんう)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 正式外題は『閏月仁景清』(うるうづき ににん かげきよ)。元文2年(1737年)、江戸河原崎座で、二代目市川團十郎により初演された。 皇位をうかがう三河守範頼をとどめるため、平景清が張飛に扮して範頼の館へ忍びこみ、折から関羽に扮した畠山重忠が来合わせたのとともに荒事芸を見せる話。長らく上演が途絶えていたためにくわしい筋はよくわからないが、馬に乗り、大髭、唐装束、青竜刀を用いての一風変った荒事だったらしい。

    解説

  • 7

    『勧進帳』(かんじんちょう)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の、安宅の関(石川県小松市)での物語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行罷りならぬと厳命する。憤慨した弁慶は仲間と富樫調伏の呪文を唱え、疑いを晴らそうとする(ノット)。焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、感心した富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。 なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問い質(ただ)すが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。富樫は通行を許すが、部下のひとりが義経に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、疑いを晴らす。 危機を脱出した義経は弁慶の機転を褒めるが、弁慶はいかに主君の命を助けるためといえ無礼を働いたことを涙ながらに詫びる。義経は優しく弁慶の手を取りともに平家を追った戦の物語に思いをはせている処へ、富樫が現れ、失礼なことをした、と酒を勧め、弁慶は舞を披露する(延年の舞)。踊りながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼し後を急ぎ追いかける(飛び六方)。 初期の演出では、富樫は見事に欺かれた凡庸な男として描かれていたという。後にはこれが、弁慶の嘘を見破りながら、その心情を思い騙された振りをする好漢として演じられるようになった。

    解説

  • 8

    『解脱』(げだつ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 1760年(宝暦【ほうれき】10年)、4代目市川團十郎【いちかわだんじゅうろう】が初めて演じたといわれています。4代目團十郎は、景清【かげきよ】の亡霊【ぼうれい】を演じました。最初は娘姿【むすめすがた】で登場して景清の怨念【おんねん】を見せた後、亡霊の本性をあらわすという内容だったようです。  長い間上演されませんでしたが、1915年(大正4年)に2代目市川左團次【いちかわさだんじ】が復活させました。最近では、12代目團十郎が1992年(平成4年)に国立劇場【こくりつげきじょう】で演じています。

    解説

  • 9

    『毛抜』(けぬき)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 「毛抜き」という日用の道具が外題となり、しかもそれが磁石とともに話の進行に大きく関わるという奇抜な趣向の芝居である。また内容はお家騒動物であり、主人公の粂寺弾正も荒事というよりは、小野家の腰元や若衆に戯れかかるさまを見せたかと思えば、それとは裏腹に毛抜きの謎を解く推理の冴えも見せるなど、単純とはいえない性格の人物となっている。毛抜きがひとりでに動き出す場面での弾正の見得も見どころのひとつである。初演は寛保2年(1742年)、大坂佐渡嶋長五郎座において『雷神不動北山桜』(なるかみふどうきたやまざくら)の三幕目として上演されたもので、この時の粂寺弾正は二代目市川海老蔵(二代目市川團十郎)であった。その後四代目團十郎や五代目團十郎もこの芝居を演じている。

    解説

  • 10

    『暫』(しばらく)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 元禄10年(1697年)1月、江戸中村座で『参会名護屋』の中の一場面として初代市川團十郎が初演。中村明石清三郎と初代團十郎による合作である。この大詰がこののち『暫』として知られるようになる演目の原型となったといわれる。また一説には、永禄5年 (1692) 江戸森田座で上演された『大福帳朝比奈百物語』の一場面が原型となったともいわれる。以後江戸では毎年11月の顔見世興行で上演された。五代目市川海老蔵により歌舞伎十八番のひとつに数えられ、以後は場の通称だった『暫』が外題として扱われることとなった。またかつては上演のたびに登場人物が変わっていたが、明治28年(1895年)、福地桜痴によって改訂されたものを基本とし、九代目市川團十郎が上演してから一幕物として独立、その時の脚本が固定されて現在に至る。

    解説

  • 11

    『蛇柳』(じゃやなぎ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 歌舞伎十八番は江戸歌舞伎の親玉ともいわれる市川團十郎のお家芸であるが、その中にはなぜ選ばれたのか、よくわからないものがある。それがこの『蛇柳』である。蛇柳というのは高野山にあった柳の木のことで、その昔弘法大師空海が法力を以って蛇を柳の木に変えたのだというが、この蛇柳の由来についても諸説あって定まらないようである。

    解説

  • 12

    『助六』(すけろく)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 通常は2時間、まったく省略なしで演ずると3時間もの長尺となるこの歌舞伎は、たった一幕「三浦屋格子先の場」だけで成り立っている。場面転換もなく、最初から最後まで同じ場所で繰り広げられる。この演目が物語性を重視しない、本質的に見世物である所以である。 花川戸助六(はなかわど すけろく)という侠客に姿をやつした曾我五郎は、源氏の宝刀「友切丸」を探すため吉原に通っている。様々な男が集まる吉原で、遊客にわざと喧嘩を吹っ掛けて刀を抜かせようというのである。そこに助六を情夫にしている花魁の揚巻(あげまき)と、揚巻に言い寄る髭の意休(ひげの いきゅう)が登場。意休が友切丸を持っていると勘づいた助六は刀を抜かせようとするが、なかなかうまくいかない。そこへ白酒売に身をやつした兄の曾我十郎がやってきて弟に意見するが、助六の真意を知った十郎は自らも喧嘩を売る稽古を始める。 やがて揚巻が一人の侍を伴って再登場。助六はその侍に喧嘩を売ろうとするが、驚いたことにその侍は、兄弟を心配してやってきた母の満江であった。満江は助六に破れやすい紙子の衣を着せて、激しい喧嘩を戒めると十郎とともに帰ってゆく。 舞台には再び意休が登場。意休は実は助六が曾我五郎と見抜いており、友切丸を抜いて源氏を裏切ることをそそのかす。助六はもちろん応じず、意休(実は平家の残党・伊賀平内左衛門)を斬り、友切丸を取り返して吉原を抜け出す。

    解説

  • 13

    『象引』(ぞうひき)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • この『象引』は江戸時代の上演例が確認されておらず(後述)、近代になってから大正2年(1913年)に二代目市川左團次の大伴褐麿、二代目市川段四郎の箕田源二猛(脚本は平木白星)で上演されて以降、舞台に取り上げられている。昭和8年(1933年)に市川三升(山崎紫紅脚本)、昭和33年(1958年)に前進座(平田兼三郎脚本)、昭和57年(1982年)には二代目尾上松緑(利倉幸一脚本)が国立劇場で上演した。その後松緑版は五代目中村富十郎などが演じたが、十二代目市川團十郎も平成21年(2009年)に国立劇場で『象引』を演じている。

    解説

  • 14

    『七つ面』(ななつめん)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 元文5年(1740年)2月、江戸市村座上演の『姿観隅田川』(すがたみすみだがわ)に、二代目市川海老蔵(二代目市川團十郎)の元興寺(がごぜ)赤右衛門で初演された。この『姿観隅田川』については台本が残っておらず詳細は不明であるが、『歌舞伎年表』によれば隅田川物に清玄桜姫物をない交ぜにした内容だったようである。その中で演じられた『七つ面』の内容は、『中古戯場説』と『歌舞妓十八番考』によればおよそ以下のようなものであった。 場所は吉田少将の館。そこに隅田川物ではお馴染みの吉田少将をはじめとする人々が居るところに、面打師の元興寺赤右衛門(実は粟津六郎)が現れる。その格好は頭に浅葱頭巾を被った上に侍烏帽子を被り素襖の姿(ただし素襖の上着を略して袴だけ)、手には桜の枝をかたげ、腰元たちに戯れかかるやりとりがあったという。

    解説

  • 15

    『鳴神』(なるかみ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • この『鳴神』は貞享元年(1684年)の正月、初代市川團十郎が三升屋兵庫の名で台本を書き江戸中村座の『門松四天王』(かどまつしてんのう)において上演したものが濫觴であるが、現行で上演されているものは、寛保2年(1742年)に大坂で上演された『雷神不動北山桜』(なるかみふどうきたやまざくら)がもとになっている。

    解説

  • 16

    『不動』(ふどう)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 『不動』(ふどう)は歌舞伎十八番の一つ。元禄10年 (1697)、江戸 中村座において初代市川九蔵(二代目市川團十郎)が『兵根元曾我』(つわもの こんげん そが)の一幕として演じたものが原型。大詰めに役者が不動明王に扮して出現するという単純なもので、市川宗家の成田山信仰に由来する芸である。

    解説

  • 17

    『不破』(ふわ)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 延宝8年(1680)江戸市村座で初世市川団十郎が初演。傾城葛城をめぐって不破伴左衛門と名古屋山三が恋争いをする。

    解説

  • 18

    『矢の根』(やのね)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 時代物。1幕。歌舞伎十八番の一つ。2世市川団十郎が創演。1729年(享保14)正月江戸中村座《扇恵方曾我(すえひろえほうそが)》の一場面として初演,以来58年(宝暦8)江戸市村座《恋染隅田川(こいそめすみだがわ)》の一世一代まで生涯に4回《矢の根》を演じ家の芸として定着させた。内容は故郷の曾我の古井に帰っていた曾我五郎時致(団十郎)が,亭の内で,武人のたしなみとして矢の根をみがくうち寝てしまい,夢の中で兄十郎の危難を知り,馬に乗ってかけつけるというただそれだけのもの。

    解説

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