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36.太宰府関連の人・家・書物(1)

カード 100枚 作成者: enchan (作成日: 2014/05/15)

  • 白村江以降初の本格的遣唐使として則天武后に謁見したのは誰?

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  • 1

    白村江以降初の本格的遣唐使として則天武后に謁見したのは誰?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 粟田真人 則天武后の在位は690ー705年

    解説

  • 2

    粟田真人の遣唐使の一団に少録として一緒に渡航した歌人は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 山上憶良

    解説

  • 3

    小野妹子から小野好古までの代表的な系譜は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 妹子⇨毛人⇨毛野(小野老は息子)⇨永見⇨岑守⇨篁⇨葛絃⇨好古(弟は道風)

    解説

  • 4

    小野毛野(けぬ)は(1)の子で子供に小野(2)がいる。700年に筑紫(3)となり,大宰帥は(4)であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①毛人 ②老 ③大弐 ④石上朝臣麻呂

    解説

  • 5

    小野岑守は妹子の(1)に当たり,822年には大宰(2)となり,(3)を設立した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①玄孫 ②大弐 ③続命院

    解説

  • 6

    小野岑守は種子島を(1)に編入し,(2)三島は(2)二島となった。また漢詩を通して(3)とも親交があった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①大隅 ②九国 ③空海

    解説

  • 7

    小野篁は(1)の長男で832年(2)となった。嵯峨天皇の勘気に触れ配流の最中に詠んだ(3)は秀逸である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①岑守 ②大弐 ③謫行吟

    解説

  • 8

    菅原道真が流されて来た時の大弐は(1)の子の(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①篁 ②葛絃

    解説

  • 9

    小野好古は(1)の次男で弟に三跡(聖)の一人である(2)がいる。ところで三聖とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①小野葛絃 ②小野道風 三聖(空海 道真 道風)

    解説

  • 10

    小野道風は太宰府に住み天満宮の連歌を担当する(1)三家の祖となった。三家とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①文人(もんにん) 三家⇨小野加賀 但馬 伊予

    解説

  • 11

    小野の文人三家の内現在二軒が参道に残っているが,それは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 小野筑紫堂、小野東風軒

    解説

  • 12

    吉備真備は吉備地方有力豪族(1)一族出身で716年に(2,3)等と共に遣唐使として入唐した

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①下道(しもつみち) ②③阿倍仲麻呂、玄昉

    解説

  • 13

    吉備真備は唐から帰国後は右大臣(1)の元(2)共々大出世した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①橘諸兄 ②玄昉

    解説

  • 14

    740年吉備真備や玄昉を除くべく大宰府で反乱を起こしたのは誰?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 藤原広嗣

    解説

  • 15

    吉備真備は孝謙の世では専権した(1)に疎んじられ左遷され遣唐使として(2)目の入唐もした。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①藤原仲麻呂 ②二回

    解説

  • 16

    吉備真備は二回目の入唐の際,(1)に再会し,帰国の際は(2)を伴った。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①阿倍仲麻呂 ②鑑真

    解説

  • 17

    吉備真備は唐から二回目の帰国後は大宰(1)となり(2)を築き新羅に備え,唐の(3)の乱に際して,大宰(3)に任じられた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①少弐 ②怡土城 ③安禄山 ④大弐

    解説

  • 18

    吉備真備は重祚した称徳の世で(1)の下(2)まで出世した。地方豪族出身で大臣を極めたのは(3)と二人だけである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①道鏡 ②右大臣 ③菅原道真

    解説

  • 19

    貝原益軒の著作(1)は天満宮と菅原道真の歴史を纏めたもので,道真を(2)と呼び更に(3)論を展開している。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①太宰府天満宮故実 ②本朝の儒宗 ③神儒併行不相悖論(しんじゅへいこうしてあいもとらざるろん)

    解説

  • 20

    貝原益軒の代表作四作とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 太宰府天満宮故実、筑前国続風土記、養生訓、大和本草(やまとほんぞう)

    解説

  • 21

    貝原益軒と交流もあった同じ藩士の(1)は天満宮に自作の(2)19巻を奉納した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①竹森道悦 ②一国々所々図(ひとつくにぐにところどころのず) 9月 『琉球国図』に関する調査(於福岡)  沖縄県立博物館に所蔵されている『琉球国図』は、福岡藩士・竹森道悦が絵師・熊本円齋と共に書写して元禄9(1696)年に太宰府天満宮へ奉納したものです。しかしこの図に描かれているのは、15世紀半から16世紀半ころの琉球国の姿です。今回の調査では、九州大学、福岡市立博物館、福岡県立図書館などを訪問し、『琉球国図』を作成・奉納した竹森道悦関係の史料を調査しました。また太宰府天満宮を訪れ、地図が奉納されていた場所(太宰府天満宮文庫)の位置を確認しました。 参考文献 深瀬公一郎・渡辺美季「沖縄県立博物館所蔵『琉球國圖』」 (トカラ科研成果報告書/課題番号13410100/研究代表者:高良倉吉『琉球と日本本土の遷移地域としてのトカラ列島の歴史的位置づけをめぐる総合的研究』琉球大学法文学部、2004年3月)

    解説

  • 22

    天満宮境内の和魂漢才碑は(1)の著作(2)から引用し(3)が書いた。(2)は(4)の注釈書。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①谷川士清 ②日本書紀通証 ③菅原為定 ④日本書紀 谷川士清 伊勢国の津の医者の家に生まれ、京都に出て医学を学ぶ傍ら、玉木正英(葦斎)から垂加神道を学ぶ。 津に帰った後、家塾「洞津谷川塾」を開いて門人を指導した。また、有栖川宮職仁親王から和歌を学び、医業に精を出す一方で、独学で国学を研究した。士清が国語学に残した功績は大きい。その著作『日本書紀通証』第1巻に収録した「和語通音」は日本初の動詞活用表であり、また、『和訓栞』は日本初の五十音順に配列された国語辞典であった。ただこの辞典は士清の存命中に全巻を刊行できず、士清の死後、遺族の手によって引き継がれ1887年に全巻刊行された。反面、士清の古典研究は、在来の学説を集成したもので、独創性に乏しいという評価がある。士清と交流があった本居宣長も「和語通音」は絶賛しているが、士清の古典解釈については垂加神道に基づくこじつけが多く非学問的だと批判している。

    解説

  • 23

    青柳種信は(1)の記録助手,(2)の編集責任を務め,(3)に師事し各地の発掘調査にも従事した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①筑前国続風土記附録 ②筑前国続風土記拾遺 ③本居宣長

    解説

  • 24

    青柳種信編纂の(1)は,当時各地で藩史や風土記が出されたが考古資料・図面・拓本をこれ程豊富に使っているものは他ない。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①筑前国続風土記拾遺

    解説

  • 25

    青柳種信の関係した著作で遺跡調査の記述や図など記した代表作は何?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 柳園古器略考(りゅうえんこきりゃくこう) 【三雲遺跡】糸島郡前原町三雲の弥生時代から古墳時代前期の遺跡群。糸島平野の南の微高地にあり1822年(文政5)に甕棺墓から前漢鏡35面をはじめ,ガラス璧へき,勾玉,管玉,有柄銅剣,銅矛,銅戈などが発見された。この記録である青柳種信の柳園古器略考と共に有名。柳園は種信の号

    解説

  • 26

    青柳種信の著作太宰府志で書かれている二大特徴は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①大宰府政庁に関して従来の南北分離式理解を改めた ②那津官家を大宰府の始まりとした(濫觴)

    解説

  • 27

    亀井南冥は1784年に(1)の教授となったがその教えは(2,3)の系譜の古学であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①西甘棠館 ②③伊藤仁斎 荻生徂徠

    解説

  • 28

    亀井南冥は秋月藩主(1)の厚い加護も受け,太宰府で(2)を開催したりした。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①黒田長舒(ながのぶ) ②書画展覧会 黒田長舒の詳細はzuknow資料13参照

    解説

  • 29

    亀井南冥の第一女は(1)で,筑前を代表する(2)であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①亀井少琹(しょうきん) ②女流詩人

    解説

  • 30

    天満宮の絵馬堂は1813年(1)の一族が浄財を募って建てた(2)造り(3)葺きの建物である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①奥村玉蘭 ②入母屋造 ③本瓦葺

    解説

  • 31

    奥村玉蘭の代表作は(1)10巻で,絵馬堂に奉納した代表作は(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①筑前名所図会 ②西都奇観および孔雀図額

    解説

  • 32

    奥村玉蘭の筑前名所図会には学校院跡に(1)が描かれ実際,(2)があったとされる。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①聖堂 ②孔子聖廟

    解説

  • 33

    奥村玉蘭は亀井南冥の後を継いだ(1)を学頭として(2)の復興を計画したが病没し頓挫した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①亀井昭陽 ②学校院

    解説

  • 34

    伊藤常足は(1,2)の弟子で(3,4)などの著作がある。那珂郡警固村を(5)と推定し,鴻臚館の跡は(6)にあるとした。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②亀井南冥、青柳種信 ③④太宰管内志、太宰府徴 ⑤鴻臚館警固所 ⑥博多管内

    解説

  • 35

    上野勝従は亀井南冥とは直接関係はなかったが思想的には系譜で1831年に著したものは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 太宰府考

    解説

  • 36

    上野勝従は太宰府考を著す動機を太宰府が滅んでしまい(1)の感を禁じ得なかったとした。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①黍離(しょり)

    解説

  • 37

    上野勝従の太宰府考は亀井南冥の(1)の論理を拡張させ(2)の政治的位置付けも上昇させた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①古代大宰府ー長崎警固 ②天皇

    解説

  • 38

    江島茂逸の代表作二作は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 維新起原太宰府紀念編と従二位黒田長溥公伝

    解説

  • 39

    江島茂逸が維新起原太宰府紀念編で太宰府の三大紀年としたのは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 菅原道真の左遷、蒙古襲来、五卿の滞在

    解説

  • 40

    維新起原太宰府紀念編は福岡藩尊攘史的内容で薩長(1),五卿の(2),(3)の獄の記載もあり,流れは(4)に受け継がれた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①和解 ②太宰府遷座 ③乙丑 ④筑紫史談会

    解説

  • 41

    薩長和解は(1)が発意し(2)が藩論を高め1864年に(3,4)の会談が実現。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①早川養敬 ②月形洗蔵 ③④高杉晋作、西郷隆盛

    解説

  • 42

    1864年の薩長和解は(1,2)の両者の尽力で実現したが翌年の(3)の獄で土佐藩の(4,5)に引き継がれた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②早川養敬、月形洗蔵 ③乙丑 ④⑤土方久元 中岡慎太郎

    解説

  • 43

    薩長和解は(1,2)の会談に始まり最終的には(3,4)が結んだ。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②高杉晋作、西郷隆盛 ③④木戸孝允 西郷隆盛

    解説

  • 44

    (1)年,江島茂逸は(2)と共同で太宰府(3)を著した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①1902 ②高原謙次郎 ③太宰府史鑑(かがみ) (御神忌千年-鉄道馬車,歌舞伎座,大相撲,太吉,本栂,宿禰など)

    解説

  • 45

    福岡市の東公園の(1)の像建立に東奔西走したのは(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①日蓮上人 ②日菅上人佐野前励

    解説

  • 46

    明治30年に(1)が制定され廃仏毀釈に遭った仏像などの修復が本格化したが修理を手がけた有名な人物は(2)。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①古社寺保存法 ②新納忠之助 1869年1月7日(明治元年11月25日) - 1954年(昭和29年)4月13日)は、日本の彫刻家。2,631体の仏像等の多くの文化財を修理した。現在の鹿児島県鹿児島市新照院町生まれ。修理前後の写真や書面など詳細な記録を残しており現在の文化財修理の基礎を築いた。

    解説

  • 47

    竹田(1)は藩儒竹田家の創始者,(2)は藩校(3)の創設者,(4)は(5)を著した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①定直 ②定良 ③修猷館 ④定簡 ⑤太宰府備考

    解説

  • 48

    高鍋日統が創設したのが(1)で,志賀島に蒙古兵を弔う(2)も建設した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①大陸山水城院(すいじょういん) ②蒙古供養塔

    解説

  • 49

    古代サンスクリット文字を発音別に表にしたものが(1)で,(2)が伝えたと言われている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①悉曇章(しったんしょう) ②円仁

    解説

  • 50

    円仁の著作は(1),円珍は(2)で双方とも貴重な記録である。円珍の著作には(3)の北館・南館が記載されている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①入唐求法巡礼行記 ②行歴抄 ③鴻臚館

    解説

  • 51

    円珍の渡航に際して大宰府から与えられた渡航許可証明書が現存しているが何と言う?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 公験(くげん) 仏教の僧尼が度縁を得る際に国家が認めた正式な僧侶であることを認める証明書として公験が朝廷より出された。鑑真が戒律を伝えて戒牒制度が整えられると、修行などによる長期旅行の証明の意味に限定されるようになった。その後の僧尼令の形骸化によって公験が出されることはほとんどなくなった。

    解説

  • 52

    円珍が帰国したのは(1)年で,ゆかりの寺は(2)市の(3)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①858年 ②大津市 ③園城寺(おんじょうじ)

    解説

  • 53

    栄西は1187年の二度目の(1)前の10余年を(2)で過ごし(3)に(4)を創建した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①入宋 ②九州 ③今津 ④誓願寺

    解説

  • 54

    栄西直筆で国宝指定されているのが(1),四王寺山の碩僧の批判に反論して書かれたのが(2)(3)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①誓願寺盂蘭盆縁起 ②③改編教主決 重修教主決

    解説

  • 55

    栄西は,博多(1)の援助で(2)寺も建立した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①博多綱主 ②聖福寺

    解説

  • 56

    南浦紹明は初めて天皇から諡(おくりな)を受け取ったが,その天皇とは? 諡とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 後宇多天皇、大応国師

    解説

  • 57

    仙崖和尚は宝満山の(1)石の上には(2)を刻み,竈門石には(3)の文字を残した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①馬蹄石 ②偈頌(げじゅ),単に偈とも言う ③仙竈

    解説

  • 58

    玄清法印が比叡山の毒蛇を退治したという事を記した書とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 玄清法印芳蹤記

    解説

  • 59

    少弐貞経の子が(1)でその子三人は(2,3,4)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①頼尚 ②ー④直資 冬資 頼澄

    解説

  • 60

    道真公が(1)歳のとき初めて作った詩が(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①11歳 ②月夜に梅花を見る

    解説

  • 61

    菅原道真は配流直前に昇任したがその位は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 従二位

    解説

  • 62

    菅原道真は25という数字と因縁が深いが,象徴的な3つは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 6月25日誕生日、1月25日配流、2月25日薨去 9月25日は関係ない?

    解説

  • 63

    徳富蘇峰の全100巻にも及ぶ著作は(1)? また92歳の時天満宮を訪れた際再会した書物は(2)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①近世日本国民史 ②余香帖

    解説

  • 64

    南北朝時代に活躍した連歌師(1)は連歌と(2)信仰との結びつきを企画し自身も(3)を訪問した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①救済 ②天神 ③ 太宰府天満宮

    解説

  • 65

    万葉集4,500首の内筑紫国関連の歌は(1)首に上る。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①380首(筑紫で歌われた歌は320首と言われている)

    解説

  • 66

    道真公の大宰府謫居後の漢詩は(1)を数え,それが(2)としてまとめられた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①38 ②菅家後集 その後漏れた歌も付け加えられ刊行本は49首

    解説

  • 67

    道真公左遷直前の位は(1)位で,薨去後讒言を知った朝廷は最終的に(2)位(3)大臣を追増した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①従二位 ②正一位 ③太政大臣 (正一位の前に正二位とした)

    解説

  • 68

    青柳種信の著作太宰府徵は当初太宰府(1)という著作名であったが(2)の意見を取り入れて太宰府徵となった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①考 ②本居宣長

    解説

  • 69

    筑前国続風土記の草稿は貝原益軒の甥の(1)が大半を纏め,(1)の没後高弟の(2)が校正し藩主(3)に献上した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①好古(よしふる) ②竹田春庵 ③綱政

    解説

  • 70

    日本文徳天皇実録は六国史の第(1)にあたり文徳天皇の代の850ー858年の8年間を扱う。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①五

    解説

  • 71

    日本文徳天皇実録編纂は菅原道真の父(1)他で序文は(2)が執筆した。(3)の初見記事が出てくるのはこの書物である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①是善 ②道真 ③鴻臚館

    解説

  • 72

    日本三代実録は(1,2,3)の三代に渡る858ー887年の30年を扱う六国史の第(4)にあたり編纂は(5)が中心となった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②③清和・陽成・光孝天皇 ④六 ⑤菅原道真

    解説

  • 73

    太宰府志は(1)年の(2)作,太宰府考は(3)年の(4)作,太宰府徴は(5)年の(6)著の作品である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①1821 ②青柳種信 ③1831年 ④上野勝従 ⑤1841年 ⑥伊藤常足

    解説

  • 74

    菅原道真が手掛けたのは(1),(2)の編纂や撰集,(3,4)の詩作である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①類聚国史 ②日本三代実録 ③④菅家文草,菅家後集

    解説

  • 75

    板絵菅公像を描いたのは(1)の門人であった(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①英一蝶(はなぶさいっちょう) ②佐脇嵩之

    解説

  • 76

    大伴旅人が大宰帥として赴任してくる前に西下した事があるがその際の役職は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 征隼人持節大将軍

    解説

  • 77

    持節大将軍とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 古代,戦争に際して任命される臨時の職で,天皇より節刀を受け一軍を率い出征する将軍。持節大使。

    解説

  • 78

    道真の伝記は(1)と呼ばれるが,これは(2)の冒頭記述を抄出したものである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①菅家伝 ②北野天神御伝(ぎょでん)并御託宣等 :道真の伝記や天神信仰の変遷を研究する際の重要史料としては道真の詩文集である『菅家文草』と『菅家後草』が著名だが,これらに劣らず重要なのが荏柄天神社の別当寺である一条院に伝来していた『北野天神御伝并御託宣等ごでんならびにごたくせんとう』という史料。 この史料は元禄2(1689)年に加賀藩五代藩主前田綱紀が、家臣に命じて書写させ、前半の「北野天神御伝」にあたる部分を『菅家伝(かんけでん)』、後半の「御託宣等」にあたる箇所を『聖廟雑記(せいびょうざっき)』と、名付けたことにより世に知られました。 『北野天神御伝并御託宣等』は、『具注暦(ぐちゅうれき)』という暦の紙背に記されています。この暦を利用した日記の4月13日条には、「祇園社焼失」という記載がありますが、『玉葉(ぎょくよう)』など他の史料の記事から、この祇園社焼失が承久2(1220)年のこととわかります。 このことから、『具注暦』が承久2年のもので、『北野天神御伝并御託宣等』の成立もそこからそれほど隔たらない時期と考えられます。つまり、鎌倉前期までさかのぼる天神に関わる記載ということになり、大変貴重です。

    解説

  • 79

    道真が手掛けた漢詩集のうち配流前のものが(1),配流後まとめられたものが(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①菅家文草 ②菅家後集

    解説

  • 80

    道真の祖父清公が関わった法令集,書物とは?(3)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 令義解、凌雲集、経国集

    解説

  • 81

    道真の父是善が編纂に関わった歴史書とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 日本文徳天皇実録

    解説

  • 82

    菅家文草の巻頭の漢詩は何と言う?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 月夜見梅花 (月夜に梅の花を見る)

    解説

  • 83

    日本書紀は(1)親王を総裁として完成し,(2)天皇に献上された。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①舎人 ②元正天皇

    解説

  • 84

    (1)大師円珍の生母は(2)の姪。国宝円珍祈祷巻数写によると(3)商人の船で渡唐し戻る二年間(4)天皇の為に勤修させた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①智証 ②空海 ③大唐商人 ④文徳天皇

    解説

  • 85

    唐に向かった円珍が携行した(1)通の(2)は律令の規定である関を通過するための通行証明書の一種(3)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①2 ②公験 ③過所(かしょ)

    解説

  • 86

    円珍の公験の事を記した(1)公験と(2)府公験は,円珍関係文書として(3)となっている。大宰府電話発行した公験に大典として署名したのは(4)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①大宰府 ②鎮西府 ③国宝 ④越貞原

    解説

  • 87

    栄西の原山無量寺の尊賀との論争を記したものが(1)でそれに更に尊賀が反論し,栄西は更に(2)を書いて再度反論した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①改偏教主決 ②重修教主決(ちょうしゅうきょうしゅけつ)

    解説

  • 88

    1806年には筑前国(1)と詳細な地図である(2)共に完成した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①続風土記附録 ②大野城・太宰府旧蹟全図 北

    解説

  • 89

    菅家後集には,道真が京の(1)のもとに送った(2)篇が収められている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①紀長谷雄 ②39 38首とする説もある。その後追加され49首となった。

    解説

  • 90

    大蔵春実の役職は(1),大蔵種材は(2),原田種直は(3)。但し春実は純友の乱の後は(4)となった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①主典(さかん) ②少監 ③権少弐 ④大監

    解説

  • 91

    大宰権帥源重資の在任中に起こった観世音寺の大きな出来事とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 1120年に東大寺の末寺となり寺の文書の写しを東大寺に献上した。

    解説

  • 92

    近年愛知県大須観音宝生院真福寺文庫の中に栄西が原山の尊賀との論争の記録が発見された。その三著作とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 改編教主決、教時義勘文(きょうじぎがんもん)、重修教主決(ちょうしゅうきょうしゅけつ)

    解説

  • 93

    (1)寺別当安能が任命されたのは(2)が大宰大弐の時で,当時,(3)寺が対外貿易の拠点として安楽寺を末寺化する動きに対抗したもの。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①安楽寺 ②平頼盛 ③比叡山延暦寺

    解説

  • 94

    戦国時代,特に1556-1560年頃の大鳥居氏と小鳥居氏の攻防を詳細に記した資料は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 角信順覚書

    解説

  • 95

    高橋紹運の辞世の句は二つ知られているが,多くの軍記に記されたものではない方を採用したのが(1)著の(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①江島茂逸 ②岩屋城史談 (その採用された歌が岩屋城歌碑)

    解説

  • 96

    玄清法印は(1)谷に(2)を建立し,(3)の祖と呼ばれた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①北 ②成就院 ③筑前荒神琵琶

    解説

  • 97

    水戸黄門の家来(1)が天満宮に来たのは(2)C後半のことである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①佐々宗淳(さっさむねきよ) ②17(1685年 )

    解説

  • 98

    菅家後集正式名は(1)。当初は(2)首が収められていたがその後付け加えられ,刊行本には(3)首が収められた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①西府新詩 ②38 ③49

    解説

  • 99

    江戸の天保〜慶応年間にかけて太宰府で地域医療の充実に尽力した人物は誰?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 中川昌沢

    解説

  • 100

    山口玄蕃は(1)の天才で主として(2)地域で活躍した。それを当時玄蕃(3)と呼んだ。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①検地 ②九州 ③縄

    解説

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