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49.太宰府検定講座他諸講座より

カード 104枚 作成者: enchan (作成日: 2015/09/16)

  • 百済の官位第1位(1)の高官(2)は,百済滅亡の際投降しその後唐に仕え,(3)等と二度来日した。

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  • 1

    百済の官位第1位(1)の高官(2)は,百済滅亡の際投降しその後唐に仕え,(3)等と二度来日した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①佐平 ②禰軍(でいぐん) ③郭務棕

    解説

  • 2

    禰軍の墓誌によると白村江の翌年唐の百済鎮将(1)が(2,3)等百数十名を日本に遣わし,日本は都から(4)等が筑紫で対応した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①劉仁顔 ②③郭務棕,禰軍 ④中臣鎌足

    解説

  • 3

    665年には唐使として劉徳高と(1,2)等254人が来日し上京を許され(3)を受けた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②郭務棕,禰軍 ③饗

    解説

  • 4

    664,665年と唐使が大勢で来日した目的は唐の皇帝(1)宗の666年に行われた(2)山での(3)の儀式への参加催促であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①高宗 ②泰山 ③封禅(ほうぜん)

    解説

  • 5

    白村江の戦いで唐軍の大将軍は(1),百済の王は(2)であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①蘇定方 ②義慈王

    解説

  • 6

    禰軍は(1)人であるが先祖は西晋末期中国から逃れてきた中国人であった。代々百済官位第1位の(2)を務めた名門である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①百済 ②佐平

    解説

  • 7

    百済義慈王投降に際して主導的役割を果たしたのが禰軍兄弟で特に弟の(1)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①禰寔進(でいしょくしん)

    解説

  • 8

    道真の祖父(1),父(2)と三人で作り(3)天皇に献上したのが(4)でその翌年(5)年に道真は配流された。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①清公 ②是善 ③醍醐 ④菅家文草 ⑤901

    解説

  • 9

    道真は配流後二年間の詩篇を(1)と呼び封緘して都の(2)に送った。これが現在の(3)で全編(4)首ある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①西府新詩(せいふしんし) ②紀長谷雄(きのはせお) ③菅家後集 ④46

    解説

  • 10

    不出門の有名な一節は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 都府楼は纔に瓦色を看る 観音寺は只鐘声を聴く

    解説

  • 11

    9月10日;去年の今夜,(1)に侍す.--恩賜の御衣,今此処に在り.捧げ持ちて毎日,(2)を拝す.

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①清涼 ②余香 (余香帖はここから?)

    解説

  • 12

    奈良時代に来日した新羅王子とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 金泰廉(きんたいれん)

    解説

  • 13

    新羅は朝鮮半島南東部にあった(1)国を基盤に成立した国家である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 斯藘(しろ)国

    解説

  • 14

    新羅と倭は(1)〜(2)世紀にかけて朝鮮半島(3)部で衝突を繰り返した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①−②4〜6 ③南部 (好太王碑や任那滅亡など)

    解説

  • 15

    新羅は532年に(1)を,562年に(2)を併合した。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①金官伽耶(きんかんかや)単に金官国。 ②大伽耶(だいかや)単に任那諸国。 (邪馬台国の邪と違う耶)

    解説

  • 16

    唐と新羅の連合軍は660年に(1)を,(2)年に高句麗を滅ぼした。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①百済 ②668年

    解説

  • 17

    唐と新羅の軍事的緊張関係は(1ー2)年にかけて旧百済領と旧高句麗領の支配権を巡って続いた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①-②670ー676年 (676年に新羅は高句麗の南半分を領有した)

    解説

  • 18

    唐との確執が続いた新羅は(1)年に使節団を派遣して倭との友好関係維持に努めた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①668

    解説

  • 19

    白村江の戦後唐と新羅の争いもあり,7世紀後半の(1)年以降続いた新羅と倭の友好関係も(2)年以降変質した。何故?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①668年 ②735年 唐が鴨緑江以南の新羅の領有を認めた。唐と新羅の雪解けが始まったから。

    解説

  • 20

    日本と新羅は,7C以前は(1)を繰り返し,同後半から8C前半までは(2)関係が続き,同前半以降は(3)面での対立が続いた。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①武力衝突 ②友好 ③外交面

    解説

  • 21

    新羅の(1)文化,加工技術は優れ伽耶諸国の王族が使用した金銅(2),金銅(3),金銅(4)などはそれに倣ったものである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①金属 ②冠(かんむり) ③冠帽(かんぼう) ④飾履(しょくり)

    解説

  • 22

    外交面では緊張感が続いた新羅であるが文化面での交流は活発で(1)Cの大宰府学校院跡出土の(2),田川(3)寺出土の(4)は有名.

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①8 ②文様塼 ③天台寺 ④新羅系軒先瓦

    解説

  • 23

    新羅からもたらされた考古資料で特に知られているものが(1)で(2)山から(3)丘陵にかけては数多く出土する。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①新羅土器 ②四王寺山 ③月隈

    解説

  • 24

    大野城の(1)山古墳群で新たに発見されたのが新羅土器の(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①唐山(からやま) ②壺

    解説

  • 25

    新羅王子金泰廉一行が滞在したであろう(1)跡から出土した木簡に出てくる地名の代表二例は(2)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①筑紫館 ②京都郡 肥後国天草郡志記里 (この頃はまだ筑紫館?鴻臚館では?)

    解説

  • 26

    木簡記載の輸送された物資名三つ(1)。また木簡を再利用した現在のトイレットペーパー代わりに使用された物は(2)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①米 魚鮨(魚のなれずし) 鹿脯乾(鹿の干し肉) ②籌木(ちゅうぎ)

    解説

  • 27

    金泰廉が奏上した天皇は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 孝謙天皇

    解説

  • 28

    金泰廉一行も滞在したであろう推定客館跡から出土した墨書土器に記されていた文字は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    解説

  • 29

    金泰廉王子の来日は日本側の外交路線と合致するものであった。どういうことか?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 来日した8C中頃は唐との友好関係を回復した新羅と従属関係を迫る日本との軋轢が表出していた。新羅側の軟化は大歓迎。

    解説

  • 30

    入京した金泰廉は(1)寺と東大寺に行ったが,なぜわざわざ(1)へ行った?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①大安寺:大安寺は新羅王族の信仰する華厳宗に属し新羅学問僧の審詳が在寺していた。

    解説

  • 31

    新羅使節団との交易の実態は(1)宝物の(2)屏風の下貼りに使われていた(3)文書(4)から判明する。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①正倉院 ②鳥毛立女屏風 ③反故 ④買新羅物解(ばいしらぎもののげ)

    解説

  • 32

    新羅使節団がもたらした物は(1)をはじめとした新羅物や(2)の工芸品,(3)アジア産の香料・薬品などで日本の対価は(4,5)等の繊維原料であった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①佐波理 ②唐 ③東南 ④⑤真綿・絁(あしぎぬ)

    解説

  • 33

    金泰廉の帰国以後,日本は新羅との関係を急速に悪化させ(1)年には(2)による新羅征討計画の下,兵士(3)人を超える大規模派兵が計画されるほどであった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①759年 ②藤原仲麻呂 ③四万人

    解説

  • 34

    白村江以後(1)年に旧(2)領の南半分を領有し唐との確執を抱えた新羅であったが(3)年には唐が(4)の領有を認め,新羅もヨリを戻した。何故か(5)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①676 ②高句麗 ③735 ④朝鮮半島(鴨緑江以南) ⑤唐と対立していた渤海が一転友好関係を築き新羅も呼応した。新羅は唐と渤海に挟まれる危惧があった。

    解説

  • 35

    いまに残る新羅の(1)と呼ばれる円形の飾りを散りばめた金銅製の服飾具三点とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①歩揺(ほよう) 金銅冠(かんむり)、金銅冠帽(かんぼう)、金銅飾履(しょくり) 歩瑶、歩徭、歩搖など多くの字が出てくる!

    解説

  • 36

    観世音寺の鐘と同じ(1)文様の新羅系(2)瓦があるのは(3)氏など渡来系氏族が多い豊前(4)寺の金堂である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①唐草 ②軒丸 ③秦 ④天台寺

    解説

  • 37

    学校院跡出土の(1)塼は中心に(2)文,四隅に(3)文を配する独自の文様であるが,新羅百済の影響も受けている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①文様 ②宝相華文(ほうそうげもん) ③覗花文(しかもん)

    解説

  • 38

    新羅土器の特徴は3つの文(1ー3)と口縁部から吊り下がる金属製(4)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①ー③(波状文,円点文,斜格子) ④瓔珞(ようらく)

    解説

  • 39

    統一新羅時代の土器は(1ー3)文の組み合わせが典型となり,(4)を起源とした自然釉が付着する。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①ー③(円点文,水滴文,列点文) ④灰陶(かいとう)

    解説

  • 40

    灰陶とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 中国新石器時代から続く技術で焼成の最終段階で水をかけ空気を絶って粘土中の酸化鉄を還元する。暗緑色の自然釉。

    解説

  • 41

    四王寺山から月隈丘陵にかけては新羅土器が多く出土する(1ー2)古墳群がある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①ー②王城山古墳群、唐山古墳群(からやま)

    解説

  • 42

    筑紫館のトイレ跡から出土したトイレットペーパーとして使用したものは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 籌木(ちゅうぎ)

    解説

  • 43

    佐波理は(1)と(2)の合金でその割合は(3)である。客館跡で出土した製品は(4,5)で他の地域では(6)も出土している。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①銅 ②錫 ③8:2 ④⑤匙 加盤 ⑥箸

    解説

  • 44

    客館跡で出土した墨書土器には何と記されていたか?

    補足(例文と訳など)

    答え

    解説

  • 45

    伎楽は(1)時代から(2)時代に流行した仮面劇で日本書紀には百済から帰化した(3)が桜井で少年に習わせたとある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①飛鳥 ②奈良 ③味摩之(みまし)

    解説

  • 46

    金泰廉一行の交易品を購入する為の申請文書が(1)で購入希望品目には新羅特産の(2)製の碗や匙,中国東南アジア産の(3,4)等があった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①買新羅物解 ②佐波理 ③④麝香(じゃこう) 薫陸(くんろく)

    解説

  • 47

    白銅とは(1)の事で薫陸とは(2)の事である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①佐波理 ②樹脂が固まった物でインドアフリカなどで産出する。日本では久慈市で産出する。

    解説

  • 48

    国分松本遺跡出土の戸籍に関わる木簡は(1)年制定の(2)に基づいて作成されたものである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①690年 ②庚寅年籍

    解説

  • 49

    水城西門を過ぎると官道の遺跡である(1)遺跡その西方向に瓦窯跡の(2)遺跡更に南下すると集落・役所跡の(3)遺跡がある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①島本 ②神ノ前 ③原口・九郎利

    解説

  • 50

    西門ルート西側の原口・九郎利遺跡を過ぎると集落・官道跡の(1)遺跡更に東側丘陵には官人の奥津城遺跡(2-3)がある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①前田 ②③日焼、宮ノ本遺跡

    解説

  • 51

    西門ルートの東側丘陵の日焼・宮ノ本遺跡を更に南下すると大佐野の旧石器や木簡出土の(1)遺跡を東遠方に見て(2)廃寺(3)廃寺に至る。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①脇道 ②杉塚 ③塔原

    解説

  • 52

    平安京から採用されたという大極殿前の石敷きの高まりを何と呼ぶ?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 龍尾壇

    解説

  • 53

    大宰府政庁は(1)門より北が政庁・官衙域となるのは奈良・京都と同じである。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①朱雀門

    解説

  • 54

    朱雀大路の道は羅城門を南に延び(1)の湯を更に南へ登山道から基肄城(2)門,(3)迄進んだ。湯町に残っている小字名二つは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①次田 ②東北門 ③南門(水門) 湯大道 車道

    解説

  • 55

    都から大宰府に入る道の一つである豊前方面からのルートは,(1)道,(2)峠,(3)駅家経由である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①田河 ②米の山 ③蘆城

    解説

  • 56

    筑後,肥前から大宰府に入る道は(1)城内を通過する道や(1)東側の峠道があり,筑後守(2)が(3)と呼んだ城山道の和歌もある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①基肄城 ②葛井連大成 ③今よりは 城山道は さぶしけ む 我が通はむと 思ひしものを

    解説

  • 57

    大野城・太宰府旧蹟全図北で本丸とされているのは(1)礎石群で,主城原礎石群は(2)石スエと記されている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①増長天 ②三ノ丸

    解説

  • 58

    尾花礎石群と接する(1)原は全図では(2)と記されており,しかも10棟の(3)もあり(4)を貯蔵していたものであろう。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①焼き米ガ原 ②クラ所 ③高床式倉庫 ④稲穀

    解説

  • 59

    紹運公の墓所は(1)丸跡にあり右横には(2)が建立した没(3)年祭の記念碑,左横には(4)祭の(5)の書の記念碑がある。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①ニノ ②三池藩主立花種周 ③200 ④350 ⑤武谷水城

    解説

  • 60

    昭和10年の(1)年祭の後,奉賛会会長(2)の書で建てられた碑は(3)という。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①350 ②武谷水城 ③侍従武官御差遣(おさしつかわし)記念碑

    解説

  • 61

    昭和30年の(1)年祭に建てられたのが(2)でこの時植樹された(3)は麓からも見ることができる。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①370 ②岩屋城戦没者之碑 ③桜

    解説

  • 62

    M27年に馬場池の端から(1)市にかけて掘られたトンネルで現在は(2)の下に埋まったそのトンネルの名前は(3)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①筑紫野市 ②九州国立博物館 ③清水谷トンネル

    解説

  • 63

    大宰府の長官を(1)と定めた法律は(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①帥 ②養老律令

    解説

  • 64

    (1)の規定で大宰府の長官にだけ着用が認められた腰帯の飾りは(2)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①延喜式 ②白玉

    解説

  • 65

    再度防人制の推移 730年(1),757年(2),795年(3),804年(4)

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①諸国防人停止(東国のみ) ②東国防人停止,西海道兵士充当 ③壱岐対馬以外防人廃止(当地兵士充当) ④壱岐防人停止 壱岐対馬以外防人はどこにいた?

    解説

  • 66

    795年に壱岐対馬以外の防人は廃止されたがその後804年に採られた措置(1)とその理由は(2)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①壱岐対馬の防人も停止された ②理由は,食料配達が困難との事

    解説

  • 67

    西海道六国(1-6)は大宰府上番の負担があり,三国二島(7-11)は辺境防衛の(12-13)の役目があった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①-⑥筑前 筑後 肥前 肥後 豊前 豊後 ⑦-⑪薩摩 大隅 日向 壱岐 対馬 ⑫-⑬鎮捍 防守

    解説

  • 68

    位階では太政大臣は(1or2),左大臣・右大臣は(3or4),大納言は(5),帥は(6)である。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①-②正一位 従一位 ③-④正二位 従二位 ⑤正三位 ⑥従三位

    解説

  • 69

    重松説によると,筑紫総領は新たな(1)の編成,(1)を核とする内政に携わり,筑紫大宰は(2)的機能に深く関わっていたとする。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①評 ②対外的

    解説

  • 70

    702年からの大宝律令制の開始こそが従来の朝鮮半島方式(半島経由の技術文化)から中国大陸方式への転換へと変わっていく事になったのである(重松説)。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • なるほど!

    解説

  • 71

    従来,大宝律令の前に制定された(1)令と大宝律令とは連続性が考えられていたが近年は段階差を認める説が大半である。どういう事か(2)?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①飛鳥浄御原令 ②飛鳥浄御原令はそれ以前の個別に発布されてきた詔などの単行法の集成としての性格を持ち,大宝律令は唐令の内容を順番に検討しそれに対応する日本令条文を体系的に確定した。

    解説

  • 72

    写真は大佐野地区に保存・展示されているポンプ。場所は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 大佐野公園前バス停そば 大佐野3丁目の「大佐野公園前バス停」の広場に置かれている。広場には一帯の旧小字である「カヤノ」碑などもある。

    解説

  • 73

     天拝山の西麓,大佐野地区の山中に江戸時代の終わりから明治時代にかけて開拓された集落があり,現在住人はおらず猨田彦大神(M14/1881年建立)が残っており往時の面影を偲ぶことが出来る。この地域の名称は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 佐野浦

    解説

  • 74

    向佐野4丁目の公園で市民の憩いの場として利用され公園と同名の遺跡の史跡解説板も設けられている公園の名前は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 日焼公園 長浦台交差点から西へ200mほど、住宅街の中にある日焼公園は市民憩いの場として広く利用されています。公園と同名である日焼遺跡は周辺で確認された遺跡で、縄文時代から近代にかけての遺跡です。古墳時代の遺跡、奈良・平安時代の墓、中世~江戸時代の集落などが見つかっており、古墳時代には「須恵器」を焼いた窯が築かれ、奈良時代まで生産されました。  また、奈良時代の初め頃には製鉄や銅の鋳造などの金属生産も行われていたようです。

    解説

  • 75

    大宰府政庁の西側の丘陵に瓦窯跡があり「佐」「加茂瓦」銘の瓦が十世紀後半頃に焼かれた。  この瓦窯跡の名前は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 来木北瓦窯跡

    解説

  • 76

    大宰府には数多くの役人が勤めており業務で用いる硯が大量に出土している。大宰府出土の定形硯の数は約(1)。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①330 九州歴史資料館で「大宰府の役人と文房具」が開催中。

    解説

  • 77

    大宰府では様々な硯が出土しているが墨をする部分が丸くなって脚台部が蹄脚・獣脚・圏足・無脚などの種類がある硯を何と呼ぶ?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 形象硯

    解説

  • 78

    天満宮では1月4日に新年の仕事始めにあたる神事があり,康和3年(1101)に大江匡房によって始められ江戸時代の記録にも残る古式ゆかしいこの神事は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 斧始祭 斧始祭は、神社の年間の造営・営繕事業の安全を御本殿で祈願した後、御神木「飛梅」の前で新しく切り出してきた長さ3メートルの角材に墨立てを行い、斧を振り上げて打ち込む一連の儀式です(太宰府天満宮ホームページより紹介文引用)

    解説

  • 79

    天満宮では毎年1月7日の夜に鬼すべ神事が行われ新年に際し災難消除や開運招福を願う勇壮な火祭りとして多くの人で賑わう。この鬼すべ神事で燃え残った板壁には「ある信仰」があり持ち帰って玄関先にお祀りする風習がある。その信仰とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 火除け

    解説

  • 80

    太宰府市では毎年正月7日の早朝に伝統的な火焚き行事が行われる。地域によっては「どんど焼き」や「鬼火焚き」などとも呼ばれ日本各地で見られる正月の伝統行事で太宰府で呼ばれている名称は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ほんげんぎょう

    解説

  • 81

    観世音寺式伽藍配置の寺院として近江に(1-2)寺,紀伊に玄昉が建立した(3)寺が挙げられる。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②(近江)崇福寺 穴太(あのう)廃寺 ③道成寺 道成寺を建立したのが玄昉であるとする説は怪しい。穴太廃寺は資料15。

    解説

  • 82

     不丁地区から出土した奈良時代(8C)の土師器坯に大宰府または筑前国の役所と考えられる墨書銘が残されていた。土師器坯に残されていた文字(墨書銘)は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 政所

    解説

  • 83

    福岡天神と太宰府を結ぶ太宰府観光列車(1)号は特別仕様の車両(2)両編成で運転されている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①旅人 ②6 テーマ別の車両

    解説

  • 84

    旅人号の内装は6両がそれぞれ《学業成就、健康長寿、厄除け、安産、家内安全、縁結び》という6つのテーマで施されている。

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 了解 6号車・・・梅文様・・・学業成就 5号車・・・亀甲文様・・・健康成就 4号車・・・矢羽文様・・・厄除け 3号車・・・波兎文様・・・安産 2号車・・・七宝文様・・・家内安全 1号車・・・貝合わせ文様・・・縁結び家内安全

    解説

  • 85

    旅人号の車体の伝統的な和文様とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①麻の葉(あさのは)文様

    解説

  • 86

    江戸時代三奈木黒田家の所領があった太宰府の村(1-2)は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①②国分村と水城村 1623年9月に国分村689石、1643年5月に水城村369石が三奈木黒田家の知行となりました。

    解説

  • 87

     江戸時代,国分村にはある施設が置かれていたことが史料から分かる。国分村にあった施設とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 御茶屋 江戸時代、国分村には、知行していた三奈木黒田家の御茶屋があり、黒田一貫をはじめ様々な人が三奈木と福岡を往き来する際に滞在した記録が残ります。 黒田一貫とは?

    解説

  • 88

    重要文化財とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 昭和8年4月1日に公布・施行された「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」は,当時,貴重な我が国の美術品が多々海外に流出している状況に鑑み,その輸出・移出を防止する目的で制定された。  その認定の基準は国宝級というところに置かれ,国宝の資格をもちながら,まだ国宝になっていない,いわば準国宝を標準とするとされた。  しかし,実際の認定においては,輸出・移出のおそれがない物件まで認定されるものもあり,また,輸出・移出を防止するための緊急措置として認定されたため,価値が定まっていないものも多数その中に混じることとなった。  認定行為は,昭和24年まで実施され,その時点での重要美術品の件数は,美術工芸品7,898件,建造物299件,合計で8,197件となっている。  翌昭和25年5月30日に「文化財保護法」が公布され,同年8月29日同法施行に伴い,「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が廃止となったが,「文化財保護法」の附則において,「認定されている物件については,同法は当分の間,なおその効力を有する」とされた。  その後今日に至るまで,文化庁では,重要美術品等認定物件分類目録等を作成するなど,重要美術品の見直しと調査を実施し,可能な物件について重要美術品の認定の取消・重要文化財の指定(格上げ指定)を推進してきた。

    解説

  • 89

    画家・浜田泰介氏が天満宮の新宝物殿開館に際して玄関ホールに掲げるため制作した画のタイトルは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 梅花の宴

    解説

  • 90

    天満宮宝物殿にて「造形展」が,福岡市天神・三菱地所アルティアムでは「図案展」が開催されたが福岡県出身のアーティストとは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 鹿児島睦 鹿児島睦氏は、植物や動物をモチーフに独自の世界観で図案を施した器やオブジェで知られ、福岡を拠点に国内はもとより、L.A.、台湾、ロンドンでも個展を開くなど海外でも活躍するアーティストです。  その作品世界の魅力は、オリジナリティのある絵柄を圧倒的な構成力で描く図案と、独自の技法から生まれる造形にあります。「#鹿児島睦展」と題し、図案と造形のそれぞれにフォーカスする展覧会を福岡県内2箇所で開催いたします。【展覧会チラシより引用】

    解説

  • 91

    次の旧大字や旧小字の内,由来や伝承が誤っているものは? ①干首…薩摩の軍が討取った高橋勢の首を並べたといわれている。②引陣…都落ちした安徳帝の行宮があったといわれる。③吉松…博多の港に入る舩にとって、良い目標になる大きな松の木があったことから名付けられたという。④関屋…刈萱伝説で有名な刈萱関があった。

    補足(例文と訳など)

    答え

    解説

  • 92

    天満宮の節分行事の際,災を除き福を招く上記写真の(1)を家庭の玄関に飾る風習がある。     ①福まねき ②福たたき ③福扇(おうぎ) ④福うちわ

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①福うちわ 福うちわは太宰府天満宮で1月7日に行われる追儺祭(鬼すべ)神事に災難を祓う卯杖という祭具を奉製したものです。 【節分行事当日の解説版】

    解説

  • 93

    太郎左近社は健康保持の守護神で毎年大祭の日にはお札が配られ昔より手形で患部をさすり祈ると治癒するといわれている。その大祭はいつ?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 2月1日と8月1日

    解説

  • 94

    太郎左近社は太宰府天満宮の末社で健康保持の守護神として信仰が厚く毎年大祭の日には多くの参列者で賑わうが,この太郎左近社に祀られているのは誰?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 道真公侍従の医師

    解説

  • 95

    この絵の作者は(1)で(2)に掛けられている。画題は(3)。

    補足(例文と訳など)

    答え

    •  ①西島画伯が描いたこの絵は、②太宰府南小学校が開校する際、PTAの方々によって寄贈されたものです。  高雄地区から見た宝満山とその前で遊ぶ子供がいきいきと描かれており、題名は③「春」と付けられています。  長年体育館の日の当たる場所に掲げられており、現在は劣化が進み痛みが激しい状態です。今後の保全・保管について協議が続けられています。

    解説

  • 96

     太宰府天満宮に所蔵されている経筒の1つに長治三年(1106)に僧侶であった慶源という人物が四王寺山に埋めた経筒があるが埋めた場所が記されている。そこは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    •   四王寺飯森 経筒は、経典などを入れて埋納するための円筒形の筒です。  四王寺山中では複数見つかっていますが、僧・慶源が埋納したものには「四王寺飯森」と記されていました。  「飯森」は、一説には四王寺山麓の坂本と国分の境界付近とも言われていますが、比定は出来ていません。

    解説

  • 97

    石坂にある石穴稲荷神社では毎年3月に大祭が行われているがこの大祭とは次のうちどれ? ①火焚神事②節分祭③梅花祭④初午祭

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ④初午祭 旧暦2月最初の午の日前後に開催される大祭。開催前には、馬場区の皆さんで構成される初午会の方々が、石穴稲荷神社から溝尻口まで朱色の幟を立て、周囲に開催を知らせます。  当日は祭事が齋行され、お接待などが行われます。平成26(2014)年は、午年に因み「回転馬」などの紙細工を配布されました。

    解説

  • 98

    天満宮では近代から現代にかけてある鳥が飼育されており名物として参拝客に親しまれていた。その鳥は?

    補足(例文と訳など)

    答え

    解説

  • 99

    『安楽寺詣日記』の作者である大倉種教はどこの藩の人物?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 秋月藩 大倉種教は秋月氏の末裔として、筑前国秋月に生まれ、秋月藩に仕えた人物です。国学や軍学に通じており、絵画も巧みであったと伝えます。  種教の残した『安楽寺詣日記』は、当時の太宰府周辺地域の人々にとって、さいふまいりがどのようなものであったか知る貴重な資料となっています。

    解説

  • 100

    大倉種教が記した『安楽寺詣日記』で安政4年(1857)に知人達と太宰府天満宮に参詣し周辺の名所旧跡を見て回ったことが記されているが,天満宮を参詣した際に様々な神宝も見たが見られなかったものは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 小松内大臣の寄進したという行平の太刀 種教は太宰府天満宮に参詣した際、様々な神宝を見せてもらったようで、日記の本文と挿絵にその記録が残されています。  ただ、小松内大臣の寄進したという行平の太刀と大谷刑部が奉納した大鏡などは「こたびは急事ありて見ず」とあり、残念ながら見られなかったようです。

    解説

  • 101

    『安楽寺詣日記』の作者である大倉種教が天満宮を参詣した後,観世音寺にも参詣して  「其さま実に奇玩なることいふばかりなし」と感嘆したものは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 宋風獅子像 種教は観世音寺に参詣した際、獅子像が大変気になったようで、日記の本文と挿絵にその記録が残されています。  種教は「石質、田島の弥陀石に同じくして我国の物と見えず」と観察しています。また、後に院主に尋ねたところ、いにしえに百済国より渡る物である、と聞いたことを記しています。

    解説

  • 102

    常陸国の渡辺春晴が記した『筑紫旅行日記』で江戸時代の享和元年(1801)に陸路と海路で太宰府天満宮に参詣し周辺の名所旧跡を見て回ったことが記されている。彼が太宰府を訪れた際まず榎寺を訪れ,そこで道真公と浄妙尼にまつわる風習を見てその事を記している。当時広くいわれていたらしい道真公と浄妙尼にまつわる風習とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 二十五日にはお茶を三服飲む 榎社を訪れた渡辺春晴は『筑紫旅行日記』に、道真公を浄妙尼が助けた逸話を記しており、浄妙尼が道真公を匿い、茶を三杯進めるうちに難を逃れたことから“九州では今に至るまで二十五日には勿論、旅立ちの際は茶を煎じ三服飲みいわうという”と記しています。  江戸時代に道真公信仰・天神信仰が広まる中で、様々な伝承が人々の間に広がっていたことがうかがえるエピソードです。

    解説

  • 103

    『筑紫旅行日記』の作者である渡辺春晴は太宰府天満宮を参詣したあと最後に二日市の湯町温泉を訪れた。その際,時間も遅くなり大雨にもなったことから訪ねる予定であった場所へ行くことを断念した。  渡辺春晴が最後に訪ねる予定であった道真公ゆかりの場とは?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • ①天拝山の山頂 春晴は、その後、天拝山を目指したようで、“それほど高い山ではないけれど、マツ・カシ・ナラの古木が茂りそびえる山”  と記しています。また、山麓にある道真公が腰掛けた石や滝(紫藤の瀧)などは見学したようです。その後、大雨となり、時刻も遅くなったことから“峰には登らずして麓より帰る”事となったようです。    「さいふまいり」が太宰府天満宮だけでなく、広く周辺の名所旧跡や道真公ゆかりの地をも含んでいたことがうかがえるエピソードです。

    解説

  • 104

    太宰府にゆかりある絵師の1人で蘇道人・独掌居士・古香などの号を称した人物は誰?

    補足(例文と訳など)

    答え

    • 吉嗣拝山

    解説

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